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”匂いフェチ”の館
女性崇拝+”匂い・分泌物フェチ”


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Author:シロ
”匂いフェチ”の館 にお越し頂きましてありがとうございます。このブログは、美しい女性を崇拝し、その芳しい”匂い”に魅せられ、女性の「忠犬」「舐め犬」として生きることを渇望している私「シロ」の夢想的ブログです。性的描写がありますので、18歳未満の未成年の方はご遠慮願います。よろしくお願いいたしますm(__)m



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「神」は存在する。

今回の妄想記は、まだ見ぬS女様へ宛てた、一種のラブレターのようなものである。                                       だからこそ、私の願望とするシチェーションの中で                                                        出来るだけ私の心理を織り交ぜながら 書きたかった。                                                   虐げられ、恥辱を受け、苦しさに耐えることが                                                     このS女様のためならと、昇華してゆく心理というのが                                                                                                                                       決して”絵空事ではない”ことを示したかった。                                                         

耐えるということが「忠誠心」に繋がってゆく心の動きは独特のものである。                                       絶対的な支配者としてのS女様がおられ                                                       その方の意のままに翻弄され                                                                 時には苦痛も 与えられる。                                                                    服従を誓うMとしては、逆らうことも逃げることも出来ない。                                              

そのような状況の中で、苦痛に耐えるには・・・・・よりS女様への「絶対服従」を誓い                                  ご慈悲を仰ぐ意外に術はないであろう。                                                               苦痛に耐えるために、さらに深くその「支配構造」の中に身を置く。


この逆説的な構造は、ある意味「宗教」のそれに近いものがあるのかも知れない。                                 そもそも宗教というもの自体、現世の"苦痛"からの(ある意味)避難システムなのだから。                          

 ”汝、右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ!”                                               この言葉は、後世、隣人愛の象徴として引用されることになるが                                                 本質は”開き直り”にあるという考えもある(田川「イエスという男」)。                                             ローマの圧制、その絶大な権力に苦しんでいる古代ユダヤの一般民衆にとって                                   右の頬を打たれた場合、一体、どのような抵抗が出来るのか?                                             何も出来やしない!                                                                          絶対服従を誓い、ご慈悲を仰ぐ意外にはないだろう。                                                     否、あるとすれば、ただ一つ!                                                                      右の頬を打たれたら・・・「じゃぁ! 左も殴れよ!」と頬を差し出す。                                                ローマの権力者が来て殴りやがった! 仕方がないんだよ! もう片方の頬も向けてやれ!            

イエスは宗教家ではない。                                                                    一級の哲学者であり思想家であった。                                                               反逆的な思想家として、イエスは「絶対服従」を誓う道を選ばなかった。                                               

その後、イエスの言葉は、歪曲され「愛のキリスト経」として                                                 支配体制維持のシステムの中で利用されてゆくことになる。                                                 だが、いずれにせよ、その後2000年に亘って                                                        絶対的な支配者、現世・・・に苦しむ民衆は、その苦しみに耐える時                                            絶対的な存在としてキリスト経を信じ                                                               その先にある「絶対的な心のやすらぎ」としての「神」を見ることになる。    

これらの構造で異なる点は、ただ一つ絶対的な支配の属性だけである。                                   前者は、S女様が構築する"闇"の世界の中での権力であり                                              後者は巧みに構築された社会システムとしての権力である。

私には、イエスがローマの絶対支配に反逆を繰り返したように                                            S女様の絶対支配に抗し反逆する理由は一切見当たらない。                                            むしろ、後世のキリスト教者と同じように、絶対的な存在としてS女様を信じ                                  「絶対的な心のやすらぎ」として崇めるだけである。                                                   

「絶対的な心のやすらぎ」の中に「神」は居る。

だから、私にとって、S女様は、やはり「神」なのだ。


この記事に対するコメント
光雨月煉様(^^)
お久しぶりです。
貴重なコメント、ありがとうございます。

「Sが絶対の安らぎとなる為には、 Mにも心構えが必要です。」
いい言葉ですね。心に留めておきたいと思います。

ブログの方、また、遊びに行かせて頂きます。
ありがとうございましたm(__)m
【2009/05/21 23:05】 URL | シロ #JuNzg3q6[ 編集]

cecilie様へ
コメントありがとうございます。

「服従の自発性、自主性」・・・非常に的確なご指摘だと思います。
これは、絶対的な支配の属性に関わることであり、S女様の絶対支配に抗し
反逆する理由を持たない・・・その「根拠」になるものだと思います。
“服従せずにはおられない”という主様に出会える日が来るのは、いつのこと
でしょうか(笑)

もう1点のご指摘は、私に対する、さらに深い問いかけになっています。
”より深い絆を求めて‥”苦痛を自ら望む!
よき主様に出会えて、この域まで、到達したいものです。

拙い文章にも関わらず、読みこんで頂けて光栄です。
ありがとうございましたm(__)m
【2009/05/20 22:10】 URL | シロ #JuNzg3q6[ 編集]

なかなか
そういった点で神なのですね。なるほど^^
ただ、このエントリーを読んで強く感じる点があるとすれば、それは服従の自発性、自主性についてです。

本来囚われに身を置くことの快楽というのは、自身の中での贖えない情動に完璧なまでに従う-溺れることが許される‥という点にあると感じます。
あなたが自らの意志により、“服従しよう”と思わずとも、“服従せずにはおられない”という主様に出会え、自身の存在を受け入れられたなら、あるいは幸福なことなのかもしれません。


そして一点付け加えるなら、仮にあなたが嫌う(苦手とする)苦痛であったとしても、本当に敬愛する主が相手であれば、何でもよいから与えられたいと自ら望むようになるに違いありませんわ^^
“敬愛する主様にどこまでも侵食されたい”という思い。より深い絆を求めて‥。
侵襲性の強い(負荷の重い)行為を共有すればするほど自ずとその関係性は深まるものですものね。


大変興味深いエントリーでした^^
そのような想いを抱いてもらえたなら、主としても悦ばしいに違いありませんわ。
【2009/05/20 18:39】 URL | cecilie #-[ 編集]


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