「シロ」という愛犬がいる。 昼は庭で放し飼い、夜は家に入れているので”半室内犬”である。 5月17日の日曜日・・・とある理由から、シロを観察しようと思い立った。 シロは、家の中でも、私の後をくっついて歩く。 時には私の先になり、後になり、私の顔を仰ぎ見る。 犬は、主人の表情から、まるで心を読んでいるような仕草をすることがある。 お前はかわいいよ・・・心の中でそう思いながら見つめてやる。 すると、嬉しそうに尻尾を振り、ウルウルとした目で見つめてくる。 逆に、おまえなぁ・・・と心の中で呟き見つめると、首を垂れ こそこそソファーの下にもぐりこんでしまう。 それなのに、私が動き出すと、また、足音を忍ばせて出てきて 私の後についてこようとする。 愛らしい。
「シロ、来い!」 シロは尻尾を振ってソファーの下から出てくる。 少し苛めてしまったので、可哀そうに思い、おやつをあげることにした。 大好物の砂肝ジャーキーである。 お手、おすわり、伏せ・・・散々、芸をさせたあとに、口に銜えさせてやる。 喜んで食べようとした、まさにその瞬間! 「まて!」と声をかける。 また、少し意地悪をする。 シロの反応はどうか? ハッとした顔をして、私の顔を見る。 そして、次の瞬間、私の前に、その大好物のおやつを差し出すのである。 犬はもともとは、群れで生活しており 獲物はまずリーダーが食べることになっている。 その習性を思い出したのだろうか? 欲しくて、ピチャピチャ舌舐めずりしながらも耐えている。 その耐える姿が愛らしい。 「耐える姿が愛らしい。」 「耐えれば耐えるほど、愛おしい。」 そういうことか。。。 おそらく、シロの精神の中心には「私」がおり、無垢の信頼、忠誠をよせている。 そして、私は、その無垢の信頼、忠誠を確認するための「忍耐」を要求し 従順にそれに応えるシロを愛らしいと感じている。 真理とは、ややもすると当たり前、簡単明瞭な場合が多いものである。 自分の精神の中心に「S女様」をおくこと まず、そのことが、「犬」として愛される第1歩なのだ。
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