少年の頃、私は少し”特異”な存在だったと思います。 「奴隷」という言葉に甘みな幻想を抱いていました。百科事典で「奴隷」「奴隷制度」の項目を 繰り返し読んでは・・・よからぬ妄想を思い描いていたのです。 もちろん、その時の私に、現実の「奴隷」が、そのような甘みなものではなく”過酷”で"悲惨”なもの である・・・と気付くまでの”成熟”はありませんでした。 「O嬢の物語」を読んだのが、高校2年の時でした。 勉強の合間に、机の引き出しの奥に隠していた本を取り出しコッソリと読んだものです。 ステファン卿の屋敷に連れて行かれて「自分の体が自分のモノではなくなること」を告げられるシーン、 気まぐれに鞭打たれるシーン、花弁に所有の証を取り付けられるシーンにはすごく興奮したことを 覚えています。 特異な点というのは、「私自身」をステファン卿ではなく、O嬢に置き換えて読んでいた点です。 私は自分自身が(O嬢のように)ご主人様の前に跪かされ、支配されることを夢想していました。 O嬢の物語は、私の性癖に大きな影響を与えた作品です。 「O嬢のようになりたい」という思いが、「女性になりたい」という”強い憧れ”に転化しました。 女性への”強い憧れ”は、「女性化願望(女装趣味)」or「女性崇拝」に昇華するのでしょうか? 私は、「女性化」という顕在化した形を取るのではなく、「女性崇拝」という心の内に潜めた道を歩む ことになりました。 ・・・そして”匂い”にまつわる様々な体験。それに基づいての犬化願望。 私にとって、女性の”匂い”は「女性崇拝」のシンボル的な存在となっていったのです。
最近、私は、自分が「ただ、ひたすら・・・精神的に支配して下さる女性に跪きたい」 のかなぁ? と感じるようになってきました。 いわゆるSMプレイありき・・・ではない。 精神的に支配され”犬”として生きたい。。。
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